白川郷(平瀬温泉)→富山市→黒部宇奈月温泉

f:id:orie13a:20170320133249j:image

2泊3日の旅の、2日目の記録と思い出です。

 

白山荘での朝食は7:30、宿泊者一斉に頂いた。
8:30には平瀬温泉を発って、白川郷を経由し、昼前には富山入りした。

 

f:id:orie13a:20170320133133j:imagef:id:orie13a:20170320133138j:imagef:id:orie13a:20170320133144j:imagef:id:orie13a:20170320133150j:image
富山市内でも有名な寿司栄でランチをとった。ガメエビという幻の海老なんて呼ばれている富山の海の幸も楽しめて、並んだ甲斐があった。
http://www.susiei.com/m.html

全ての食材がむちむち、コリコリしていて噛む喜びのある鮨だった。

 

富山市のお土産屋さんはいきいきKANやマリエとやまとか駅前に全てが揃ってる(駅前から外れると逆に戻るまでに時間がかかる)から短時間の滞在にはちょうど良かった。

私ははたはたのオイル漬けやらふわっふわの鹿の子餅なんかを買った。

f:id:orie13a:20170320134344j:image

f:id:orie13a:20170320134247j:image

 

f:id:orie13a:20170320133517j:image

北陸で地元のスーパーへ行って、ビーバーというスナック菓子を見つけたら買いみたい。特に白えび味は入ったらすぐに売り切れるとかで、私も探して買った。ちなみにお土産屋さんには売っていない。

 

富山駅からは北陸新幹線で1駅、12分の距離に黒部宇奈月温泉がある。
富山市内に泊まるよりも温泉地でのんびりしたかった。

延楽というお宿は、新幹線駅までの送迎があってアクセスのいい穴場感があった。
http://www.enraku.com/s/index.html

 

何より檜風呂からの眺めと雰囲気が良くてこれだけでまた来たいと思った。対岸には山猿もいて非日常を感じた。

f:id:orie13a:20170320133712j:image

 

夕飯は地の物をふんだんに使った繊細なもので、味は言うまでもないが、何より勉強になった。

f:id:orie13a:20170320133729j:imagef:id:orie13a:20170320133737j:imagef:id:orie13a:20170320133746j:imagef:id:orie13a:20170320133822j:imagef:id:orie13a:20170320133832j:imagef:id:orie13a:20170320133836j:image


私は足し算の料理をしがちなところがあるので、素材の良さを活かして、シンプルに味付けをすることを今後の課題にしようと思う。
北陸地域特産のとろろ昆布とカボスのお味噌汁なんて、すぐにでも真似出来るんじゃないかって今からワクワクしてる。

 

料理を供してくれた女中さんが地元の人で、特産の醤油の美味しいメーカーを教えてくれたので、自宅用と恋人のご両親と親友に買った。

新潟味自慢むらさき、ヤマジョウのもの。

 

f:id:orie13a:20170320135115j:image
夕飯を終えると布団師がやってきてふかふかのお布団を並べてくれる。


翌の朝食は一番遅い8:30でお願いした。

f:id:orie13a:20170320134046j:image
8:10分に部屋をノックする音があって、布団師が起こしにくる。日付が変わる前には夢の中だったのに、気付けば8時間以上寝ていて寝付きの悪い私にとってはそれだけで最高だった。

 f:id:orie13a:20170320134004j:image
良い旅館は人を幸せにする。

 

温泉に浸かってお土産を買って新幹線でビールを飲んで、もう東京駅に着いた。帰ったら紐をほどいて、恋人とのんびり過ごす予定だ。

 

東京から白川郷への旅程覚書

 ちょっと細かく、実際に白川郷に行きたい人向けにまとめました。どうぞ

 

<東京から白川郷に旅する場合>
北陸新幹線で北上し南下するルート
東海道新幹線で名古屋へ下り北上するルート
③(岐阜県)飛騨高山経由の高速バスorバスツアー

f:id:orie13a:20170319120220p:image

が大まかな主なルートで、私は団体行動が苦手なので③のバスツアーは却下で算出。

白川郷へは直行便もないし疲れるので今回は夜行バスは無し。

 

<所要時間の概算>
①(富山〜金沢で下車の場合)新幹線2時間半〜3時間+バス1時間15分〜2時間=約3時間45分〜5時間
②(名古屋で下車の場合)新幹線1時間40分+バス3時間10分=約4時間50分
③(濃飛バスで新宿〜高山)5時間半+(高山〜白川郷)50分=約6時間20分

 

ここに乗換え・休憩時間を含めて白川郷まで移動することとなる。
省エネで白川郷まで向かいたいので①②が有力候補にあがる。
北陸新幹線を使って見たかったこともあり、1番早そうな北上ルートを選択。

最安値で買えると思われるe5489で予約

 f:id:orie13a:20170319120904j:imagef:id:orie13a:20170319120926j:image

 

 

<①北上ルートの場合>
①のルートを選択した場合、[1]富山[2]新高岡[3]金沢のいずれかで下車し、白川郷へ移動することになる。

 

北陸新幹線下車駅
[1]富山〜白川郷→1時間25分 1750円
[2]新高岡〜白川郷→2時間 1800円
[3]金沢〜白川郷→1時間15分 1850円

せっかくなので、世界遺産バスで各世界遺産を眺めながら行きたいと思い[2]新高岡からのルートを選択。

 

新高岡に停車する北陸新幹線は『はくたか』のみ。

f:id:orie13a:20170319123420j:image

 

世界遺産バス 時刻表】
http://www.kaetsunou.co.jp/company/sekaiisan/

f:id:orie13a:20170319120437j:image

f:id:orie13a:20170319120725j:image

車窓からの眺めは抜群によく飽きなかった。世界遺産の菅沼集落や五箇山集落を抜けて2時間ほどで白川郷に到着する。

 

f:id:orie13a:20170319121156j:imagef:id:orie13a:20170319121822j:imagef:id:orie13a:20170319121842j:imagef:id:orie13a:20170319121850j:image

白川郷の観光は個人的には2時間もあれば充分だと思う。

展望台へ向かうバスと集落沿いの大通りの2つを押さえればだいたいの観光は済む。

f:id:orie13a:20170319122435p:image

赤い丸部分にお土産屋さんが密集する。

展望台へ向かうバスは9:00〜15:00の0/20/40分の決まった時刻に発車する。

 

宿泊先を選ぶにあたってせっかくなので

・合掌造りの宿

・温泉が宿に併設されている

ことを条件に絞ると白川郷萩町内ではヒットしないのでバスで15分ほどの平瀬温泉まで足を伸ばした。

 

白山荘

http://hakusanso.com/style.html

f:id:orie13a:20170319122634j:imagef:id:orie13a:20170319122646j:image

当たり前だけれど、建物は古く床はきしむし隣との壁が薄いので静かに寝たい人には向かないけれど、石油ストーブの匂いとコタツと女将さんの山の幸と良い泉質を楽しみたい人には良いと思う。

一泊の料金も安い。

【夜ごはん】

f:id:orie13a:20170319122914j:imagef:id:orie13a:20170319123032j:imagef:id:orie13a:20170319123039j:imagef:id:orie13a:20170319123047j:imagef:id:orie13a:20170319123053j:imagef:id:orie13a:20170319123100j:imagef:id:orie13a:20170319123105j:image

【朝ごはん】

f:id:orie13a:20170319123740j:image

渋い。

 f:id:orie13a:20170319123144j:imagef:id:orie13a:20170319123203j:image f:id:orie13a:20170319123157j:image

 

ごはんを食べてる間にお布団を敷いておいてくれるのだけど、ピッタリくっつけて並べてくれていたので嬉しかった(分かってる!)

f:id:orie13a:20170319123908j:image

 

ご飯食べて温泉つかってコタツでぬくぬくしてひたすらゴロゴロした。

 

今は富山にいる。鮨が食べたい

 

【実際の旅程表】

f:id:orie13a:20170319124312j:image

 

 

【日記】素直

身近な人とは、その日の嫌なことはその日のうちに片付けてしまいたいから、今日少し機嫌悪く過ごしてしまったことを恋人に謝った。

ご飯が終わってお茶を飲みながら両手を繋いで謝った。


(私は今職場が最大のストレスなんだけど)その環境の影響で、言葉を過剰に捉えるところがあって、笑い飛ばせばいい冗談に傷付いて、笑って過ごせないこととか。でもそれに甘んじるつもりではなく、今は特にそういう状態だから過度な冗談は笑えないことを分かっていて欲しいこととか。
恋人も理解しようとしてくれていて、それはお互い変えたり考えたり、逆の立場になった時に大事なことだななんて考えてる。

 

私は『自分の行動で言わなくて後悔した』
ってことがすごく嫌いなんだよな。

ギクシャクしたら私からアクション起こしてしまうことが多い。
直接伝えるのが難しかったら手紙でも電話でもLINEでももちろんいいし。
悪いことしちゃったらさ、謝っちゃえばいいじゃない。なんて思ってる。
寝たらケロリと忘れたりするしね。

 

そして、好きなら好きと伝えないと、相手に伝わらないと思ってる。
「躊躇なくなんで好きだと言えるんですか、失うのが怖くないですか」ってDMがきたりするんだけど、伝えて失うものがないからかもしれない。
伝えないで失うものの方が私には多い。

 

生きて生きて、歳をとって、失いたくないものが増えていくのが良いことなんだと思ってる。
失うことは苦しいけれど、無条件で愛される人なんてほんの一握りで、発する言葉とか笑顔とか愛情の積み重ねとか思い出とか、そういうのがふたりの間で増えていくから失いたくなくなるんじゃないかなぁ。
それは苦しいけれど、苦しくなければ簡単に手放しちゃう程度のものだと思う。
大切であればあるほど苦しみが伴うのだと思うので、それは真っ当な愛だと思う。

 

重ねて「失うのが怖くないですか」と聞かれるんだけど、
怖いです。めちゃくちゃ怖いです。
でも、それは真っ当な恋愛だと思う。
失って怖くない恋愛なんてしたくないです。
それがいいと思ってます。

風邪っぴき

たいしたことのない風邪のはずなのに完全にダウンした。
モロッコから帰国して、ロクに休まずに新しい職場で気張っていたからか、疲れがどっと出た。
朝の10時に恋人を見送って、11時までうたた寝をし、蜜柑と水を買いに出たら良い天気だった。
日光を浴びて満足して、生姜の味噌汁を啜って眠った。まだ12時は回ってなくて、元気だったらたいめいけんタンポポオムライスでも食べに行ってたのになぁなんて考えながらうつらうつら眠った。
食欲があれば身体の悪しきことはすぐによくなるような気がする。

目が覚めたら既に暗くて18時になっていた。
恋人はいつもよりずっと早く帰宅して、家にある食材でカレーうどんを作ってくれた。
昆布と鰹で出汁を取り、人参を茹で、玉葱・長葱・豚バラを入れ灰汁を取る。白だしと味醂で和風に仕上げ、ルゥを溶かしてサラリとしたスープをこさえたら、最後に摩り下ろした生姜をたっぷり加える。
あとはうどんを軽く煮込んで完成。同じ鍋で全然構わない。

f:id:orie13a:20161201013018j:image
不器用でも色々聞いて一生懸命作ってくれた。
湯気が立った丼を両手で包んで「幸せな食卓だね」って彼が言っていて、嬉しくて顔が見れなかった。食後に焙じ茶を淹れてくれた。

歯を磨いて、買ってくれた風邪薬を飲んだ。
眠る前に温かい服に着替えてと長袖の彼の服を用意してくれて、少しぶかぶかなのがちょうど良いなと思った。腰にホカロンを貼ってくれた。
気持ち良いよ、と喉と背にヴェポラッブを塗ってくれた。ユーカリ油でスースーする。
お布団に潜ったら湯たんぽが先客でぬくぬくと温かかった。
寝室もアロマオイルを焚いて加湿してくれていた。女子力が高い。
デロデロに甘やかされている。

誰かに何かをしてもらった時に好きだと伝えるのはなんだか気が引けて、しないようにしていたんだけど、そんなにこだわらなくても良いかなと思った。
して貰って言う「好き」は何だかズルい気がしてしまうけど、素直に好きとありがとうを伝えた。思った時に言うのが一番良い。

今は身体が熱いのと、心がこそばゆいのと、昼に沢山寝たせいで少し眠れないでいる。
洗い物から何から任せてゴメンねと思いながら彼の寝息を聞いている。

男の人への甘え方が下手だと思っている。妹や弟に生まれついた子は甘え上手で良いなと小さい頃から羨ましかった。
恋人は「してくれたからする」ではなく、常に「したいからする」。だからしてもらう事に申し訳なさを感じる必要はないんだと慣れつつある。
「安らぎ」を「甘え」と混同していたけれど、どうやら違うみたい。

いつか私ものんびりと生きられるかもしれない。

整形美人

同級生が芸能人だった。今日、学友に教えてもらって初めて知った。テレビで何度も見て知っている人だった。言われるまで全く気付かないくらいに変わっていて、言われてみれば何となく面影があった。


整形美人が話題になった世代だったからテレビでそんな特集が流れるたびに「親に貰った顔に傷付けるなんて」と母が言っていたのを覚えている。

「綺麗なら別に良いじゃない」と母を小煩く思っていたけれど、テレビで見た顔とあの頃を思い出して、少し寂しく思った。私の知らない人のように思って、あぁこういうことか、と初めて分かった。


人が変わるのは良いことだと思う。すごく稚拙なことを言うけれど、特に仲が良かったわけでもないけれど、彼女へのエールでもある。
どんどん綺麗になれ、どんどん目立って、望むところにいってくれ。

ネットではうるさい人達の恰好の餌になっているらしい。そんなことまで併せて知った。
特別美人だったとか、目立ってたわけじゃないけれど、細くて可愛らしい子だった。
自分で自分を変えて、幸せじゃない。どんなに嫌味なことをされても、負けないで輝いて欲しい。


私は彼女の本名も芸名もどちらも彼女自身だと分かるから、たぶんきっとこの先もくだらないやり方で触れないと思う。彼女が彼女であることを固有名詞を出して言及するのは、彼女が彼女であることを阻害するから、しない。
なんとなくこんな気持ちを、覚えておきたいから10分くらいでこの文を書いた。
自分にもし子供とかそう思える可愛い子分ができたら、考える日がくるかもしれないと思って。
自分で生まれ持ったものは、親のものじゃなくて、自分のものだよ。
自分で好きにして良い。
全部自分で決めれば良い。
でも全部自分で責任を持たなくちゃいけない。
それだけ分かっていれば、全部好きにして良いと思う。
好きに生きるのが人生だと思う。

 

頑張れ

死んだ父とその奥様へ

父が死にました。

今年の2月末のことです。

それを知ったのは引越し、戸籍を移したタイミングで、今年の9月のことです。

チェーンスモーカーで煙草をどんなにふかしても元気な姿しか見てこなかったから、死んだなんて嘘だと、不思議でなりませんでした。

私は妾の子です。

だから父のことを逐一知ることは出来ませんでした。

妾の子ということは、特に隠してもいません。

父が好きでした。

今でも好きです。

母に暴力を振るっていた姿も記憶しているので、どうしようもない父だったかも知れません。

でも母も泣き虫でヒステリックでどうしようもない人でした。

どうしようもない2人が寄り添ってどうしようもない女が産まれました。それが私です。

父が死んで、父の奥様を知りました。

父の奥様は父と二度結婚しています。

経緯は知りません。

それでも、父のことを知る手がかりは、父の奥様しか居ません。

 

昨日、戸籍に記載されていた住所に行きました。

住んでるかどうかは灯りがついていないので分かりませんでしたが、マンションの一室の標札には父の苗字が刻まれていました。

なので父の奥様に手紙を書くことにしました。

まだ文面は変えると思います。

気持ちをどんな風に伝えるか、今、考えあぐねています。

 

「初めまして、突然のお手紙失礼します。
〇〇(父)さんについてお伺いしたくお手紙を書きました。
単刀直入に申し上げます。私の父についてお伺いしたく、△△さん(奥様)のお気持ちも知らずこのお手紙を書くことを決めました。
最後まで読んで下さらなくても大丈夫です。それでも、どうしても、お伝えしたく書きます。
私が父と最後に会ったのはもう随分と前のことで、思い出す顔も少し若い時のものです。〇〇(父)さんは、癖毛で、笑顔のクシャッとした背の高い男の人です。それが確かかどうか、私が幼かったから記憶が確かかも、もう分かりません。
父はお酒の好きな人でした。ゴードンというBARを新宿で営んでいました。だから私の小さな頃の写真には、何も知らないでニコニコしている私と歌舞伎町のネオン街が多く写っていたように記憶しています。
私の母は----といいます。〇〇(父)さんのBARで昔働いていたそうです。私はもう母とは暫く会っていませんが、きっとどこかで元気に暮らしてると思います。
さて、申し遅れましたが、私は☆☆織江という名前の26歳の女です。☆☆という苗字は23歳の時に結婚していた元旦那の苗字で、旧姓は--と言います。--織江といいます。
私は平成2年の4月13日に----と〇〇(父)の間に産まれました。
父はお酒を飲みながらキャメルの煙草をよくふかしていました。もしかしたらラッキーストライクだったかも知れません。煙草をよく吸っていて、どんな銘柄かはきちんと覚えていません。曖昧でごめんなさい。肺を悪くするよ、と母とよく言い合ったのを覚えています。
叙々苑が好きで、よく連れて行ってくれました。成人したら一緒にお酒を飲もうと言ってくれました。お酒を飲みながら恋人を紹介して、ともよく言ってくれました。
得意料理はトマトと卵の炒め物で、湯剥きしたトマトが半熟の卵と和えられた美味しいものでした。それは今でも父の味として私の大切な思い出の一部です。
私のことは「おーちゃん」と呼んでいました。私のことをそう呼ぶ人は親くらいで、そのことを思い出すと少し寂しいようなよく分からない気持ちになります。
父とは幼稚園の時の少ない記憶しか残っていないのですが、小学校に入ると『あなたのお父さん』とかそんなテーマでものを書かされて、その度に家には居ないけれどなんて書こうかな、なんて考えたような気がします。
〇〇(父)さんは優しい人でした。私とは歳が60も離れていたからか孫みたいに思ったのか、パパと呼ぶと嬉しそうにしてくれました。

家にはたまにしか居ませんでした。

母も常に働いていたので、家にはベビーシッターさんがよく居ました。正直、寂しくて、思春期の頃は父親がいないことで母とよく揉めました。
私は今、26歳で、--区に住んでいます。

父親に紹介したい恋人がいます。それで、連絡先も分からず、戸籍を取り寄せました。今年の9月のことです。その時に父が半年前にこの世を去ったことを知りました。
そんなこともこんな方法でしか知れないんだ、もう少し早く知れたらと寂しくなりました。
△△さんのことも、△△さんが父と再婚したこともその時に知りました。
母は父が好きでした。でも、母は△△さんには敵わなかったんだなぁとも、その時知りました。

△△さんはきっと強くて優しい人なんだと思います。だから手紙を書きました。
私は母とは不和です。きっと母も父が死んだことは知りません。だけれど、私にとっては父は唯一無二で、父の話をお伺い出来るのも△△さんしかいません。
私は恨みもつらみも何もありません。私の我儘ですが、私は父の話がしたいです。私は、知らないなりに父が好きでした。
今も父が好きです。
たぶんこのまま歳を重ねていったら消化できない気持ちがいっぱい残るだろうと思っています。だからどうか、少しお話させて頂けたら嬉しいと思っています。
よろしくお願いします。
どうかよろしくお願い致します。
これから寒くなるのでお身体お気をつけ下さい。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
お返事待ってます。」

 

まだどうしていいか分からないんだけど、ぼろぼろ泣きながら文を考えていたら恋人が背中をさすってくれて、「ふつうの家に産まれたかった」って弱音をこぼした。
「ふつうの家をつくっていこう」って冗談でも言ってくれたのが嬉しかった。

 

手紙を書かなくちゃ

昔の男

今日、昔の男を見た。
もうこの男と別れたのは何年も前で、男との思い出のある街を歩く時にたまに思い出すくらいで、決して探していたわけではないのに一瞬で気付いた。
男は渋谷の109のすぐ向かいの飲食店が詰め込まれたビルの隅っこで携帯をいじっていて、ひとりで下を向いていた。
ホストとかじゃないけれど、出で立ちからあの頃と同じ仕事をしているのだと一目で分かった。
経験のある人なら分かると思うけど、死ぬほどビックリした。
何も悪いことしてないのに心臓がバクバクした。本当に本当に死ぬほど驚いた。

 

私がこの男と知り合ったのは19歳の寒い3月のことで、その頃私は監禁先から逃げたばかりで手持ちのお金も帰る場所もなかった。
あれは深夜の1時頃のことで、終電を逃した若者やサラリーマンなんかと度々すれ違いながら、コンビニで選びに選んで、なけなしの金で買った温かいうどんが食べれる場所を探してた。
渋谷のUNIQLOが入ってる白いビルには外側からメトロに続く階段があって、終電を見送った後もエスカレーターの運転は止めれど天井の電灯は付いていて、止まったエスカレーターを冷やかす人もいないだろうと、そこに座ってうどんを啜った。
詰まらないナンパを無視した後、メトロから吐き出された酔った男が、止まったエスカレーターに登ってきた。甘い顔の男だった。それを分かってる男だった。何をしてるのって聞かれたからうどんを食べてるって答えた。俺にも頂戴と言うから言われるがまま半分こした。自分の心の寂しさにどっぷりはまっていくのが分かっていたけれど、どうしようも無かった。仕事も恋愛感もどうしようもない男だったけど、何も無い私はその男から仕事も貰った。振り返ってみてもロクでも無いと分かるけれど、後悔は何も無い。生きれたから。
あの時は虚しいとか考える暇もなく、学費をどうやって稼ぐか、どうやって家を借りるか、身分を証明するものが無くても保険証をどうにかして手に入れてやろうと毎日考えてた。その時の些細なことは苦労話だから脇に置いておくとして、とにかく生きるのに必死な時に私がうつつを抜かした男だった。
だから、その男を久しぶりに見て心底ビックリした。
あの時と違って私はスーツを着てきちんと働いてるぞと少し胸を張れる気がしたけど、声ももちろんかけなかった。
でも、お互いあの時より太っていてちょっと恥ずかしかった。
いっぱい酷いことをされたような気もするけど、幸せでいることが一番の復讐だなとも今は思う。
今日は仕事でヘトヘトだったから恋人と西新宿で待ち合わせた。夕飯を食べた後、新宿の街を手を繋いで散歩した。
付き合う前にキスをした思い出の場所があるんだけど、クリスマス前でイルミネーションも綺麗で、あの時と同じだななんて思いながら歩いてたら「このままここ過ぎちゃって良いですか」なんて聞くから「意地悪ですね」って腹を抱えて笑ったら、押し付けるようにキスしてくれたから全てどうでもよくなった。
19歳の頃よりブスで醜くなったけど、あの時より幸せだと思った。
歳を取るのは悪くない。たぶん。
一丁前に幸せになれるかもしれないななんて、強気なこと思ってる。
強く生きてやろう。自分が壊れない限り

スポンサーリンク

広告