<DAY7>青と幻想の街、シャウエンへ
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フェズ 16:15発
シャウエン 21:00着
夕方に街を発ったバスは、10分後には田園風景と夕景の一部となりフェズが田舎町だということを教えてくれる。
トイレ休憩を兼ねたバスの停留所の軒先には皮を剥がれた生の羊がぶら下がり、看板のような役割を果たしている。腹を空かせた乗客は屋台でシシカバブを注文し、愛想の良い男が慣れた手つきで赤い肉を無骨に捏ね、手際よく勘定を受け取る。肉を挟んだ鉄網からは肉汁が滴りもうもうと辺り一面を燻らす。石炭は松明のように燃え肉を焼き、いくつものテールライトを見送っていた。
4時間も走った頃シャウエンの街に辿り着くと相変わらずタクシーの客引きが続くが、それに加えてハシシはいらないかとしつこく勧めてくる。怒ったふりでonly taxiと唱え続ければ良い。
怖い街だと踏んでいたが宿に着いてそんなことはどうでも良くなった。
なぜなら宿が本当に可愛かったから。
宿に荷を置き予め決めていた店へ向かう。街への到着が遅く閉店間際だったから鶏肉とオリーブのタジンしか無かったのだが、ピンと尖がった骨からするすると身をほぐし、油のよくなじんだ鍋にパンを擦り付けて一緒に味わうとよく温まった。山の上で食べたオリーブはどれも辛くて好きにはなれなかったが、店員が注ぎ入れてくれた甘い紅茶で食事を締めくくると満たされてよく眠れそうな気がした。
店を後にして23時過ぎにアフリカの市街地を歩いてるメスは猫と私くらいしかいなかった。私は知らない土地へ行くと宿へ向かう途中の商店に寄ると決めていて、大きな荷物を背負ったまま閉店の時間を尋ねる。特に何も買う必要は無い。遠く離れたアフリカの地で東洋人は特に目立つから、少し笑って話せば印象良く覚えて貰える。何かのタイミングで危ないと思ったらそこへ寄って立ち話でもすればいい。
レストランの帰りはハシシ売りがいること以外は特に危険を感じなかったが、先の商店に行きエナジードリンクを買った。店先のドラム缶で親父が何かを炒っていた。「ガルバンゾだ、食べてみろ」と手渡されたので食べてみると香ばしい。いいアテが出来たと持ち帰った。
何か請求されるかと訝しんだがそんなことは無かった。疑い過ぎは良くない。
シャワーを済ませレッドブルウォッカを作り、炒りたてのひよこ豆をぽりぽりと噛みながら土産を眺め、日本のことを思った。
朝5時、お祈りの歌が暗闇の街に鳴り響き目が覚めた。アラビア語の低音が心地良い。
日の出とともに青い世界に飛び込む。朝は早起きのムスリムの男と猫しかいないから静かな散歩を楽しめる。支配人はフロント不在だったので部屋の鍵だけ持って出た。モロッコの宿は治安上、常に鍵がかかっていて出入りの度に開けて貰わなければならない。だからまた朝飯の頃に戻ればいい。
時間があったので新市街まで歩いて行った。こちらは青くはないが、登校前の子供達やニワトリの声で賑わい、傾斜の激しい分山々が美しく見えた。
朝も8時頃になると女達も動き出す。ちょうど私が訪れた月曜はシャウエンの朝市の日だった。
そろそろ朝ごはんに帰ろう。
シャウエンでは山羊を放牧しているからミルクもチーズもバターもヨーグルトも山羊のもので、少しクセがあるのだが日本で食べてきたそれとは少し違った。特にヨーグルトは牛の乳から作られるものよりずっと深みがあって、あまりに美味しくお代わりをした。どこで買えるのかと聞いたら宿で手作りしているものだと言う。
ねっとりとした蜂蜜と小粒ながらに主張の強いドライフルーツもいいアクセントだった。
お腹も満たされて屋上へ登った。宿は満室なのに皆眠っているのか、風を受け止めているのは洗濯物と私だけだった。
シャウエンを発つ前、長旅の疲れを取るために宿の高級ハマムを利用した。高級と言っても4千円弱ではあるが、庶民のそれが130円程度であるから充分な贅沢だ。ハマムとは低温サウナのような場所で垢を落としバケツに汲んだ水で汚れを流す。浴場に行くのは週に一度のことで、日本のような湯船は無い。それがモロッコの文化なのだという。
高級ハマムでは恰幅のいい女性が水着のような衣服に着替え、こちらはパンツ一丁で浴室へ向かう。言われるがまま暖かい石の台にうつ伏せに眠る。柔らかい粘土のような液剤での全身マッサージから始まり、垢すり、スクラブ、ヘッドマッサージと至れり尽くせりなのだ。そして全身くまなく、大きな女の柔らかな手に包まれて赤ん坊に戻ることが出来る。
右のスライムのような茶色い方がボディーソープ。左の石灰のようなものがスクラブで水に溶かして使う。道端の商店で売っている。
シャウエンは、これといった観光名所のあるわけではないが、ただのんびりと街にいるだけで非現実的な世界を味わえる。
ついノックしたくなる青いドアを訪ねて旅に出るのもまたの楽しみに取っておこうと思う。